2015年6月26日金曜日

伝統の技で大谷翔平選手にエール!平田染工場さんのミニ大漁旗が贈られました。

先月の昆布に引き続き北海道日本ハムファイターズ市町村応援大使である大谷翔平選手へ浦河町からの熱いエール!
平田染工場が作成した大谷翔平選手のミニ大漁旗が贈られ、日刊スポーツ(6.26 5面 WEB版 http://bit.ly/1IheIdk)に掲載されました。

80年以上の長い歴史を持つ平田染工場さん。今では伝承者も少なくなった手染めの技術を用いて大漁旗などを製作しています。
平田さんの大漁旗製作風景
三代目の平田貴敬さんは「うららん&かわたん」手ぬぐいを作成されたり、染め体験を開催されたりと浦河のためにと熱い取り組みを行っています。
記事中にはありませんが、平田さんが個人のFacebookに書かれていたお言葉が素敵だったのでご紹介しますね。

「僕の染めた物は、生活には全く関係ない贅沢品でして、感動製品か失望製品のどちらかです。
お客様が品物を手にした時、笑顔になれるよう今後も努力して参りますので宜しくお願い致します。」
大谷選手の活躍はもちろん、浦河に長く根付いてきた技が、多くの方を感動させることを応援したいと思います!

◆日刊スポーツ(6.26 第5面)
http://www.nikkansports.com/baseball/news/1497850.html
◆染元 平田染工場さんWEB
 http://www.net-urakawa.com/hirata/

2015年6月20日土曜日

世界に発信!浦河の『乗馬療育』

第9回地域デザインカフェにて乗馬療育についてお話していただいた小島愛子さんと江刺尚美さん。
今月22日から台湾で開かれる乗馬療育の国際学会にて小島さんがこれまでの取組みや研究成果を発表されるそうです。
6/20 北海道新聞朝刊 日高版
日本人による口頭発表は小島さん一人。(もちろん英語での発表だそう・・!)
乗馬療育の効果を科学的に検証している団体は、国内はもちろん、海外でも決して多いわけではないそうです。
福祉サービスとして提供されるだけではなく、様々な研究機関と連携しながらの積み重ねをされてきた成果なのでしょうね。

浦河の”馬”という資源を活かした乗馬療育の取組が世界に発信されるのは嬉しいことですね!

◇第9回地域デザインカフェのレポートはこちらから。
 http://urakawa-tsunagu.blogspot.jp/2013/09/vol9.html
◇現在の活動はピスカリ うらかわ乗馬療育コミュニティにて発信されてます。

2015年6月11日木曜日

【レポート】地域デザインカフェVol.30 『蹄なくして馬なし』 装蹄師の仕事


 
日高の一大産業である軽種馬生産。競走馬が実際に競馬場で活躍するまでには、実に多くの役割の人が携わっています。競走馬の命とも言える蹄をケアする装蹄師もその一人です。

26名の参加があった第30回の地域デザインカフェには、装蹄師・田中駿さんにカフェマスターとしてご登場いただきました。田中さんは競走馬牧場の跡継ぎでもあります。今回は「蹄なくして馬なし」という言葉があるぐらい大事な「蹄」をケアする装蹄師の仕事について、そして競走馬牧場の跡継ぎとしての想いをお聞きしました。
装蹄(そうてい)と削蹄(さくてい)

装蹄師の使途は大きく「削蹄(さくてい)」と「装蹄(そうてい)」の2つに分けられます。削蹄は文字通り、伸びてくる馬の蹄を削り、手入れする仕事です。装蹄は馬の靴でもある蹄鉄を釘を用いて馬の蹄に固定する仕事。生産地である日高では馬が蹄を履くことは少ないため、削蹄が主な仕事になるそうです。
「真っ白です…」と大変緊張していた田中さんでしたが、終始笑い声の絶えないあったかい場になったのはマスターの人柄でしょうか。馬の蹄の断面図などと共に、削蹄並びに装蹄についてわかりやすくお話をしていただきました。今回は日頃乗馬をされている方や生産牧場の方、乗馬施設の方なども参加されていましたが、田中さんの話を聞く中からそれぞれ新たな発見があったようでした。

今回のデザカフェにあたって先輩装蹄師さんからたくさんの道具や蹄を借りてきてくれた田中さん。「装蹄師は馬が相手の仕事のようで、実は人との縁や関わりが一番大事だと思っています。」と話していました。装蹄師として各牧場を訪れることを通じて、牧場の跡継ぎとして家業を手伝うだけでは見えてこなかった発見が日々あるそうです。
「自分たちの代に変わったときに、今のままではいけないと思う。生産牧場としてもファンサービスなどを行わなければいけないと思うし・・」と語る田中さん。
浦河の基幹産業である”馬”産業も次世代の担い手の方々は新たな展開を考えています。

うらかわ「食」で地域をつなぐ協議会 村下知宏

2015年6月1日月曜日

【イベント情報】地域デザインカフェVol30~『蹄なくして馬なし』装蹄師の仕事~開催のご案内




地域デザインカフェVol.30のテーマは装蹄師のお仕事。
日高の一大産業である軽種馬産業。
競走馬が実際に競馬場で活躍するまでには、実に多くの役割の人が携わっています。
競走馬の命ともいえる蹄をケアする装蹄師(そうていし)もそのひとつです。
日高以外の方には耳慣れない仕事でしょうし、浦河が地元の方でもその仕事の中身までは知らないという方もいるのではないでしょうか?

今回のカフェマスターは若手装蹄師の田中駿(すぐる)さん。
浦河出身で軽種馬牧場の後継者でもある田中さん。「装蹄師ってどんな仕事?」という話題はもちろん、牧場の後継者ならではの話題までお聞きしたいと考えています。
「蹄なくして馬なし」という言葉もあるぐらい馬にとって重要な蹄。
その蹄を守る装蹄師のお仕事、是非聞きに来てください!

◇日時:6月11日(木)夜7時~9時
◇場所:浦河町ふれあい会館 和室
(東町かしわ3丁目1-1/浦河保健所正面)
◇参加費:500円


※地域デザインカフェとは、
『地域の色々についてゆる~く話をする』をテーマに毎月第2木曜日に開催しているイベントです。

町内の様々な方が「カフェマスター」として登場!地域を元気にする話題や浦河をもっとよく知るための話題を提供しています。
たとえば、他の町のまちづくりの話や、小さな商いの話、昔の浦河の様子など!

講演会とは違った誰もが参加しやすい場を目指しています。参加者同士、参加者と話者が雑談したり、話をするのが苦手な人は静かに頷いたり・・誰もが気軽に参加できる会です。


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≪お問い合わせ≫
うらかわ「食」で地域をつなぐ協議会
Tel:0146-22-5123(㈱マルセイ内)
E-mail:urakawa.tsunagu@gmail.com

【レポート】地域デザインカフェVol.29 『浦河の夏イチゴ、日本一までの挑戦』 

浦河の夏いちごの昨年の販売額が2.8億円を達成!ここに至るまでの11年の物語とこれからの想いを、菅正輝さんからお話していただきました。「売り上げ日本一になったけど、何よりも、浦河町のみなさんに愛される産業にしていきたいです。」「アイデアやアドバイスを皆さんからいただきたいです。」と、自らデザインカフェへ。「これからの10年は、僕らが次の物語を作っていく番です!」と力強く話されました。「すずあかね」が、この地域の作物として確たる位置を占めるまでの実際の物語に感動しました。
菅農園4代目 菅 正輝(すが まさてる)さん
浦河・様似で協力して生産している夏いちご「すずあかね」。ケーキをはじめとするお菓子用のいちごとして高い評価を得ている品種で、銀座コージーコーナーをはじめとした有名店でも取り扱われています。

その一方で、ほぼ全量が東京方面に出荷されているため、浦河町内に住んでいる私たちが手軽に購入できたり、味わうような機会はほとんどありません。これは、かなり残念なことです

浦河のイチゴ生産の現場にみんな興味津々!過去最高の参加者数でした。
 今回は、「浦河の人達に浦河のいちごのことを知ってもらいたい、地域に何かを還元したい!」 という熱い想いを抱いている菅さんが、自らカフェマスターを申し出てくれました。生産量日本一を達成した夏いちご「すずあかね」ですが、当初はたった4軒の農家さんでスタートしました。菅農園さんも、その中の一軒です。
新種のいちごが次々と生まれては消えていく中、菅さんたちは、「すずあかね」が消されないようにと、生産ハウスを増やし、様々な課題を乗り越えてきました。栽培や、出荷に至るまでには大変な苦労があったと菅さんはいいます。当初は農協の協同選果・出荷システムに載せることができなかったため、全て自分たちで選果しなくてはなりませんでした。


朝、日の出と共にいちごの収穫をはじめ、手作業での選果を経て出荷。それからの手入れ作業や他の野菜の出荷と続き一日の仕事が終わるのは夜の10時頃。
笑って話してくれましたが、その頃は家族の生活がおかしくなり、精神的にも追い込まれ、3代目のお父さんと激論を交わす日々だったそうです。

「日本一になれたのは、苦しい時に立ち上げた農業の先輩やその時々に手を差しのべてくれた人の応援があったからです」と菅さんは話されました。

当時、役場の担当者は札幌から隔週で浦河に指導者を招聘し、自らも休日は野菜の出荷作業を手伝ってくれたそうです。
種苗会社では当時 「失敗作」ともされていたすずあかねですが、指導者の方は販路の紹介も含めて浦河に根付くように、尽力してくださいました

高価格で安定して取引される「すずあかね」は、きっと農家を幸せにすると考え、高い品質を保つように生産を続けて来た菅さんたちでした。そんな中、指導を受けていた「すずあかね」の生みの親である今野先生が、平成21年に病死されたのですが、その時、大切な言葉を残されました

「若者を集めなさい。若者が集まるところは若者が入ってくるから。そして青年部を作りなさい。」

その後、資金面で国の後押しもあり、新規就農者を募ることも進めてきました。
4戸からスタートした生産農家が27年度は全21戸中、14戸が青年部世代です。今野先生の遺言とも言える言葉を守り、今では本当に若者から成る 「いちご青年部」が活動しています。

この日もたくさんの生産農家さん、研修生の方が参加していました。農家さんを囲んでのアイデア出し
菅さんは、今までとこれからは違うステージだと言います。「これからの10年は、いちごが地元にも愛されるような取り組みをしていくことで、次世代の担い手づくり、ひいてはそれが産地としての競争力づくりにつながる」と考えています。 

町外から移住して新規就農を目指す研修生も増え続けています。これから先の物語を作るのは僕たち若い世代だと話す菅さんと 「いちご青年部」の方々と出会い、正直、未来志向の若者たちがこんなにも浦河にいたのかと感動しました。

私達も浦河に育った新たな産業を応援していきたいと思います。


菅正輝さんのブログ「菅農園4代目の日記」http://d.hatena.ne.jp/SugaFarm/