2012年12月31日月曜日

大みそかの食卓を彩るー丸真仕出し・弁当店


毛がにの山というのを初めてみました
12月30日。浦河の荻伏町にある「丸真仕出し・弁当店」。80歳を越える、社長の真下さんは、今の場所で仕出し業をはじめてから40年、それ以前に荻伏駅前で食堂を営んでいた期間も合わせると、もう50年近く、この地の食を支えてきた方のひとりです。浦河に来てから、いろいろなところで「丸真さんの『キンキン(きちじ)のいずし』は絶品だよ」という話を聞いていたのですが、そのうちに「キンキンのいずし」は、単品で販売するためのものではなく、毎年の大みそかのための特別な仕出し「年越しオードブル」の目玉の一品としてつくられるということを知りました。11月に「キンキンのいずし」の仕込みにお邪魔した時に「年越しオードブルをつくる数日間は、まるで戦場よ」という話を聞き、年の暮れの浦河の食卓を彩る、食の現場のひとつにどうしても触れたくて、丸真さんの調理場にお邪魔しました。


1ページも割いて紹介して頂きました
調理場に入っていくと、たくさんの調理人(多くはまちのお母さんたち)が、まさに調理の真っ最中。社長の真下さん家族とは、お裾分けを頂いたり、立ち話をしたりする間柄でも、多くのみなさんにとって、私は見知らぬ人。カメラを下げて、突然、調理場に入ってきた私に、当然のごとく怪訝な表情をされています。あわてて、うらかわ「食」で地域をつなぐ協議会の研修生として10月から浦河で暮らしていて、浦河の食のことをいろいろ取材している、ということを伝えます。「どこかで見た顔だと思ったら、町報に載っていたでしょ!」と、ひとりのお母さん。続いて「見た、見た」という声があがり、ようやく空気が少し緩みました。これも、浦河町役場が「広報うらかわ」で協議会の活動を紹介して下さっていたおかげです。











1000枚を超える鮭を焼いていきます
今年の年越しオードブルの発注数は、例年通り数百皿。想像を絶する量です。いずしなど、オードブルに使われる料理の仕込みは、早いものでは11月から始まっていますが、大人数での調理や盛りつけは大晦日までの数日間の間に行われます。私が伺った時には、焼き鮭チーム、毛がにチーム、いずしチームなど、各所に分かれて粛々と調理や盛りつけをしていました。





丁寧に包丁を入れていきます

盛りつけを相談するベテランお母さんと真下さん

年越しオードブルの現場を取材するきっかけになったお母さんから、「写真だけ撮ってても何だから、はい、手を洗って!」と三角巾とエプロンを渡され、気付いたら私も毛がにチームの一員に。毛がにチームでは、甲羅を外し、ふんどし(腹筋)を取り、足にも甲羅にも裏側から包丁を入れます。私は、ふんどし取りを担当。かにの姿はそのままに、食べやすいようにひと手間かけるのが、丸真さんの昔からのやり方だそう。しかし、それも100パイを超えるとなると、ものすごい仕事量になりますが、それでもなお、そのひと手間をかけ続けていることに、食べる人への愛情を感じます。



毛がに作業が終了した後は、いずしチームに合流。お母さん2人は、朝から担当していた「トラウトサーモンのいずし」の盛りつけを終え、いよいよ「キンキンのいずし」の盛りつけに移ります。まずは、ひとつ見本をつくって、盛りつけ量の判断を真下さんにしてもらいます。一度量を決めたら、後は一定に盛りつけていくので、最初の判断は重要です。もし、後で足りなくなってしまったら、盛りつけ直しになってしまうので避けたい。じゃあ、どのくらいまでなら増やして大丈夫かとお母さんたちと相談します。せっかくみんなが楽しみにしてくれているのだから、少しでも多く分かちあいたいという、という真下さんの思いが伝わってくるやりとりでした。量が決まれば、あとはひたすら、桶からいずしを出し、切り、盛るのくり返し。朝からずっと同じ姿勢での作業で、大変な仕事です。とはいえ、私が代われるわけもなく、私は盛りつけた皿を箱に並べ、笹型のバランを添えるという、ささやかなお手伝いをさせて頂きました。


とにかく数をこなすのでどんどん上手に
総勢20人近くいる「年越しオードブル」調理人チーム。中心メンバーは、もちろんお母さんたちです。「平成2年から、ずっと年末は年越しオードブル」というお母さんは、ご自宅の年越し準備は全て旦那さまがやってくれているそう。20年という月日の中でそういう役割分担がなされてきたのでしょうか。家族ぐるみで、この大事な仕事が支えられているようです。そんなお母さん集団の中に、一人混じっていた高校生の男の子。去年までは、お兄さんが手伝っていたけれど就職してしまったので、今年から自分が来ることになったとのこと。果てしなく続く作業に、一瞬へばり気味の様子も見えましたが、中心メンバーの年齢が少しずつ高くなっていく中で、若き戦力として活躍するとともに、お母さんたちのアイドルとして調理場を潤す、という大切な役割も果たしていました。








いきいきと働く、小さな調理人たち
そして、調理人部隊の最年少は、真下さんのお孫さんの2人の小学生の女の子たち。ここ数年、卵割りをかき混ぜを担当している、と誇らしげに教えてくれたのでした。












祝いの一皿
家族や友人が集う、大晦日の食卓。この地で、その幸せな食の時間を支えてきた現場のひとつをご紹介して、今年の最後の研修生レポートとしたいと思います。

101日に、浦河にやってきてから、いろいろな食の現場に足を運びました。穫る、育てる、つくる、商う。たくさんの食材、人、それを取り巻く場に出会い、この地の食の豊かさに触れてきました。






これまで、この研修生レポートを通して、ささやかながらその現場をお伝えしてきましたが、来年1月初旬に「うらかわ『食』の手帖」というタイトルで、新しい情報ブログをスタートする予定です。少しでも多くの人と浦河の食についての情報を共有していければと思っています。

最後に、今年、浦河にて、たくさんの驚きと喜びを与えてくれた、食を支えるみなさん、そして魚、肉、野菜などの食材たちに、心から感謝し、年末のご挨拶としたいと思います。そしてまた、来年もどうぞ宜しくお願いします。
(宮浦宜子)