2015年6月1日月曜日

【レポート】地域デザインカフェVol.29 『浦河の夏イチゴ、日本一までの挑戦』 

浦河の夏いちごの昨年の販売額が2.8億円を達成!ここに至るまでの11年の物語とこれからの想いを、菅正輝さんからお話していただきました。「売り上げ日本一になったけど、何よりも、浦河町のみなさんに愛される産業にしていきたいです。」「アイデアやアドバイスを皆さんからいただきたいです。」と、自らデザインカフェへ。「これからの10年は、僕らが次の物語を作っていく番です!」と力強く話されました。「すずあかね」が、この地域の作物として確たる位置を占めるまでの実際の物語に感動しました。
菅農園4代目 菅 正輝(すが まさてる)さん
浦河・様似で協力して生産している夏いちご「すずあかね」。ケーキをはじめとするお菓子用のいちごとして高い評価を得ている品種で、銀座コージーコーナーをはじめとした有名店でも取り扱われています。

その一方で、ほぼ全量が東京方面に出荷されているため、浦河町内に住んでいる私たちが手軽に購入できたり、味わうような機会はほとんどありません。これは、かなり残念なことです

浦河のイチゴ生産の現場にみんな興味津々!過去最高の参加者数でした。
 今回は、「浦河の人達に浦河のいちごのことを知ってもらいたい、地域に何かを還元したい!」 という熱い想いを抱いている菅さんが、自らカフェマスターを申し出てくれました。生産量日本一を達成した夏いちご「すずあかね」ですが、当初はたった4軒の農家さんでスタートしました。菅農園さんも、その中の一軒です。
新種のいちごが次々と生まれては消えていく中、菅さんたちは、「すずあかね」が消されないようにと、生産ハウスを増やし、様々な課題を乗り越えてきました。栽培や、出荷に至るまでには大変な苦労があったと菅さんはいいます。当初は農協の協同選果・出荷システムに載せることができなかったため、全て自分たちで選果しなくてはなりませんでした。


朝、日の出と共にいちごの収穫をはじめ、手作業での選果を経て出荷。それからの手入れ作業や他の野菜の出荷と続き一日の仕事が終わるのは夜の10時頃。
笑って話してくれましたが、その頃は家族の生活がおかしくなり、精神的にも追い込まれ、3代目のお父さんと激論を交わす日々だったそうです。

「日本一になれたのは、苦しい時に立ち上げた農業の先輩やその時々に手を差しのべてくれた人の応援があったからです」と菅さんは話されました。

当時、役場の担当者は札幌から隔週で浦河に指導者を招聘し、自らも休日は野菜の出荷作業を手伝ってくれたそうです。
種苗会社では当時 「失敗作」ともされていたすずあかねですが、指導者の方は販路の紹介も含めて浦河に根付くように、尽力してくださいました

高価格で安定して取引される「すずあかね」は、きっと農家を幸せにすると考え、高い品質を保つように生産を続けて来た菅さんたちでした。そんな中、指導を受けていた「すずあかね」の生みの親である今野先生が、平成21年に病死されたのですが、その時、大切な言葉を残されました

「若者を集めなさい。若者が集まるところは若者が入ってくるから。そして青年部を作りなさい。」

その後、資金面で国の後押しもあり、新規就農者を募ることも進めてきました。
4戸からスタートした生産農家が27年度は全21戸中、14戸が青年部世代です。今野先生の遺言とも言える言葉を守り、今では本当に若者から成る 「いちご青年部」が活動しています。

この日もたくさんの生産農家さん、研修生の方が参加していました。農家さんを囲んでのアイデア出し
菅さんは、今までとこれからは違うステージだと言います。「これからの10年は、いちごが地元にも愛されるような取り組みをしていくことで、次世代の担い手づくり、ひいてはそれが産地としての競争力づくりにつながる」と考えています。 

町外から移住して新規就農を目指す研修生も増え続けています。これから先の物語を作るのは僕たち若い世代だと話す菅さんと 「いちご青年部」の方々と出会い、正直、未来志向の若者たちがこんなにも浦河にいたのかと感動しました。

私達も浦河に育った新たな産業を応援していきたいと思います。


菅正輝さんのブログ「菅農園4代目の日記」http://d.hatena.ne.jp/SugaFarm/